めま苦しい?
広辞苑で調べたら、目まぐるしい:目の前をいろいろなものが次から次へと通りすぎて、目のまわるような感じである。とある。
目まぐるしい一週間だったように思う。というほど、一週間前の記憶が薄れているのは、もちろん老化に伴う記憶のキャパオーバーのせいであるが、考え方の急激な変化を己に課した、いや、課さざるを得なかったせいでもあると認識しているのだが。
ある人と頻繁に会うようになったある日、彼女が手にしていた本は、誕生日からその人の一生を占う本で、相性占いもできるものだった。
彼女と私の相性は、「カルマ」と呼ばれる強力な関係性だと言う。
前世からのつながりがあって、お互い鏡を見るかのような関係である、と。
つまり相手の中に自分が映し出されるというわけで、自分を愛していなければ相手を愛せないというものだろうと理解した。
自分を愛する。
このことは、案外難しいことであって、自己陶酔であるナルシシズムとはまったく次元が違うのである。
前にも書いた、インナーチャイルドの声に耳を傾ける、と近いように思えるこのことは、私がもっとも苦手としていることであって、カルマの相性である彼女を目の前にして、まずはこの人を愛することから始めてみようと思った次第である。
そう意識的に行動していたら、怖いくらいにスムーズに、何のストレスも何の障害もなく事が進んで行くのである。
一緒に企画したイベントがポンポン決まり、会いたい人にすぐ会え、行きたいところにすぐ行ける。
二人ともせっかちで、考える前に即行動。要は、そっくりなのだ。だからストレスがないのだ。カルマなのだ。そういうことなのだ。
雲ひとつない晴天のある日、これまたサイキックな友が我が家を訪れてくれた。
目的は、土地と部屋のエネルギー調整ということなのだが、マンションあたりに近づいてくると、ゴホゴホと咳き込んでいる。彼が咳き込むのはあまりいい兆候ではなく、嫌な予感がした。
何時間もかけて調整してもらい、調整後の今や前とは比べ物にならないくらい安定したエネルギーに包まれている。ような気がするから不思議。
どのように調整したかは長くなるので割愛するが、前にもお伝えしたように、代官山の城主(だったらしい)の私は、この城で弓矢で頭を射抜かれて死んだのだ。(らしい)
その時の記憶や土地自体の記憶などをクリーニングしていただいていると、部屋の中でかつて聞いたことのない、「パキッ」という乾いた木の枝が折れたような音が何回もした。
「あ~、今、出て行ったね。」
何が?
全身総毛立ちつつ、信じるものは救われる、を信じて心の中で、「ありがとう。愛してます。」を繰り返す。
空にはきれいな夕焼けと
大きな満月が
「やっと気づいてくれたんだね。」と言っているみたいでなんだか嬉しかった。
カルマな相性の彼女と大阪へ打ち合わせに行く。
大阪出身の彼女は、焼肉にはちとうるさい。
焼肉の聖地鶴橋にある、
どんな店?
こんな店でしか食べられない体質に変わった日。焼肉だけのために大阪出張を入れようと決意した夜だった。
東京に戻った夜、インテリアデザイナーM君と久々の会食に六本木「HONMURA AN」へ行く。
ニューヨークにあった手打蕎麦屋さんが、東京へ戻ってらしたのだ。
数年前、ちょっと心に傷を負った経験があって、それ以来そのことを思い出すような人・場所を遠ざけていたのだが、その人にばったり会ってしまった。
5年ぶりに再会したのだが、意外にも私はいたって冷静沈着でむしろ優しい笑顔を引きつることなく出来ていたと思う。心のかさぶたがポロリと落ちた。
もう避けて通らなくていいんだ。
もうこんな風に武装しなくていいんだ。
けど、むしろこんな男がいたらきっと好きになる、あたし。
なんだかんだと I LOVE ME.