リーマンショック以降の景気の低迷と、このところの悪天候と世界中で起こる(怒る)自然の脅威により、能天気なまでのポジティブ思考な私も、最近ではすっかり将来を憂うおばさんに姿を変貌させつつある。
景気回復に一役買うわ、とせっせと買い物にいそしむ姿は、自分でもなんだか哀れですらある。
いつも行動を共にする一回り二回り年下の彼らは、おそらく私の実年齢などほとんど気にしていないのだろう。
実際、私自身だって、年齢記入の時ぐらいしか自分の年齢を意識したことはなく、精神年齢はフリーランスになった28歳で止まったままなのだ。
宇宙の、地球の論理からすれば、人間なんか塵のような存在で、そんな塵のような存在の私たちがしでかす愚かな行為に対する制裁が始まっているようにも思える最近の気候の変動は、ある人に言わせれば、氷河期へ向かっている。人間は、地球にとって必要なのか?
否、と。
とはいえ、何かしら地球に貢献しなければこの世に生を受けたつじつまがあわないのではないかしら、などと、思考はぐるぐるループするばかりで・・・
そんなとき、友人から、広尾にあるHITOMONOKOTOで「ヒトモノ ココロ展」があるから行こうとの誘いを受けた。
そこで初めてお会いしたジュエリーデザイナーの小前さんは、かつて東京でジュエリーブランドを立ち上げ活動なさっていたのだが、数年前に千葉に移住し、犬のポーさんと二人暮し。自然と語らいながら静かで素敵な生活を送ってらっしゃるのを自身のブログ「時間の心」で拝見している。
作品のジュエリーたちも、そんな優しい目を通した温かいものばかりで、
私もその仲間に入りたくて、一作品を手に入れた。
すべてハンドメイドのこれらに触れていたら、最近のうつうつした気持ちは、安価な大量生産なものばかりに侵食され、作り手のモノに対する愛情を感じることができなくなっていたことが、その原因のひとつなんじゃないかと気づいたのだ。
小前さんばかりではない。
HITOMONOKOTOを主宰する六高寺さんだって、江戸時代から造り酒屋で使用されていた酒袋を柿渋で染め、一枚しか存在しない布と合わせ、酒袋鞄(SAKE-TOTE-BAG)をリメーク、新たな命を生み出している。
そのことを熱心に語ってくださる姿を見て、はた、と、中途半端な中年のボヤキしかしていない私を恥ずかしく思った。
人と人をつなぐのが、私自身の喜びであり、大袈裟に言えば、使命だったんじゃないのか?
本質を見抜くのが得意、と得意げに言ってたんじゃないのか?
得意を伸ばさなくてどーする?
そうでした。
で、「ヒトモノ ココロ展」の帰りに友人らと食事をしながら、いろんなことを話した。
かなりつっ込んだトークを繰り広げ、周りの人たちは、若干引いたんじゃないだろうか。。。
その模様は、友人ブログ「めのおかし」をご参照あれ。
結局、この世は、「ヒトモノ ココロ」。
ご縁とタイミングだけで回っている。
だから、私は、これからも、吼え続ける。
いい歳こいた負け犬といわれようが一向に構わない。
私は、これからも、歌って踊れる人間交差点を目指す。